トび込んじまいたい空 気持ちいいぐらいなんだし

赤羽39

赤羽39

絶好の「サマー記念日」日和。晴れた風のない昼下がり。留まった空気は、時間の流れを感じさせない。窓を全開にして、爆音で。
〝赤羽39〟の中でこの「サマー記念日」は、なんとなく空気感が〝とどめをハデにくれ〟に近い気がします。「井戸掘り」が一番近いかな。
「井戸掘り」では、井戸を掘ること(バンドを続けること)を、このままでいいのか迷います。〝待ってよーぜ きっと来るよ 目の前までであきらめたらもったいねぇ〟続けたい、願望はある。でも、仲間は井戸を掘り当てたり、次第に自分のそばからいなくなります。自分の井戸掘りは、水が出ないと思いながらも〝いつまでかって もう少しだ〟〝ただわかりたくないだけ〟と、もしかしたら自分の井戸も水が出るかもしれない、井戸掘りを続けたいと思うのです。それでも〝今日も日照り〟やっぱり水は出ない。
それに対して「サマー記念日」では、〝タダの記念日だ 逃げてく水 思い残すな 干からびろ〟水が無くなったら干からびることに、覚悟を決めていると思います。なぜなら、「井戸掘り」で〝待ってよーぜ〟と言っていた頃に比べて、歳を取った。もう時間は無い。〝そこで何を待ってるんだ イタダキマス〟〝勿体ねーよクソまで喰っちまいな〟お腹を空かせたまま終わることよりも、残りを使い果たすことを選んだのです。〝明日があるなんて オラもう関係無し〟一見、自殺願望に思えるけども、そうでは無くて、クタバるまでやるんだ、もうあとのことは知らねーよ、というところじゃないかと思います。でもそう決めたけども〝父さん母さんもう遠くの市場〟申し訳ない気持ちがあって、〝今夜くらいはジッと落ち込んでいたい〟夜。「井戸掘り」でもそういう部分があります。〝ダマりこくって止まる〟自分に付きあわせている彼女を開放してあげたほうがいいと思いながらも言わずにいます。
たまロカのはるくんのコラムで、「サマー記念日」の音を撮ってる時のイメージは「やたらいい天気の南の島の原地人が軍人に追いつめられてヤられてしまう」と書かれていて、えーと思ったけど、「このままここでクタバっても構わない」っていうイメージは「追いつめられてヤられてしまう」ことに近いかもね・・・。
そういえば、たまたま「サマー記念日」のPVを見た友人が、青空の下で野っ原で縛られているはるくんを「なんて情けない顔が似合うんだ」って言ってましたよ。たしかに・・・。はるくん、ゴメン(笑)。
とどめをハデにくれ

とどめをハデにくれ